asahi.com:鮭神社で献鮭祭 五穀豊穣を祈る 福岡・嘉麻市 - 暮らし

お久しぶりです。
気力がわかずこちらを放置しておりました。お越しいただいた皆さまにお詫び申し上げます。

で、久々に心を打つ記事がありましたので、アップを
解説はリハビリ中と言うことで、貼り逃げ御免ということでご容赦ください。

リンク: asahi.com:鮭神社で献鮭祭 五穀豊穣を祈る 福岡・嘉麻市 - 暮らし.

鮭神社で献鮭祭 五穀豊穣を祈る 福岡・嘉麻市

2007年12月14日00時55分

 全国で唯一、サケの名がつく福岡県嘉麻市の鮭(さけ)神社で13日、約1200年の伝統を誇る献鮭(けんけい)祭があった。五穀豊穣を祈って納められたのは、サケを模した大根。

 サケは「神の使い」とされ、氏子らは遠賀川水系を遡上(そじょう)したサケを納めるのがしきたり。だが、同水系の汚染度は九州最悪の水準で、遡上のない年が長く続いた。

 そこで稚魚を放流し、この10年ほどはサケを奉納できたが、今季は再びゼロに。氏子は「猛暑の影響か」と心配し、「代役」に本物を呼び寄せてと願いを託した。


2007 12 14 05:47 AM | 固定リンク | コメント (14) | トラックバック

腹部が金色のサケ

 サケ漁シーズンですが、ちょっとおもしろいネタが。

リンク: 大漁の前触れかも 腹部が金色のサケ水揚げ.


 【寿都】後志管内寿都町の小西漁業(小西正之社長)が二日、寿都湾に仕掛けた定置網で、腹部が金色のサケ一匹を水揚げした。
 体長約七○センチの形のいい雄。さっそく寿都神社に奉納し、安全操業と豊漁を祈願した。小西社長は「三十年以上も漁業をしているが、金色は初めて」と驚いている。
 小西漁業では三年前に金色のホッケを水揚げし、その後ホッケが大漁になった経験がある。「今度は秋サケの大漁の前触れかも」と、縁起を担いでいる。


だそうです。
 早速神社に奉納したというところといい、金色のホッケの話といい、私個人としては”うふふふ”というネタです^^;
 本当に豊漁になるとよいですね。

2006 10 04 07:41 AM | 固定リンク | コメント (63) | トラックバック

両石の鮭供養塔

Sakekuyou
 釜石市両石地区のサケの供養塔です。昭和初期よりはじめたサケ定置網漁を記念して、魚類全般を対象とした供養塔とのこと。ちなみに隣にはトドの供養塔も立っています。
 沿岸部をドライブしているとたまにこういう石碑を見ます。発見次第、おいおい紹介していければと思います。

2006 05 18 06:34 AM | 固定リンク | コメント (77) | トラックバック

アイヌのサッチェプ作り今年も

 そろそろサケの稚魚放流のニュースが流れ始めました。その中、目についたのがこのニュース。

リンク: “調味料”は民族舞踊 白老 サケ薫製作業始まる.

 で、既視感があったので、自分のサイトをぐぐると、こちらで、昨年の報告がありました。ということで、今年も作られているようです。記事にもありますように、単に製造販売というのではなく、乾燥場がそのまま民族芸能の上演会場になっていて、天井いっぱいにサケが吊されている中で上演されているようです。「観光客に人気」とありますが、情報無く会場にはいると”ぎょっ”とするのでは無いですかね。みてみた~い!
 サッチェプはアイヌ民族博物館で注文できるようですので、どうぞ。調整をして9月までは継続販売されるそうです。

2006 03 06 06:33 AM | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

又兵衛祭り

又兵衛祭りシリーズ第3弾です。
 少し手抜きをして、以前職場の図録に書いた原稿をそのまま載せます。
 これで写真があるとよいのですが、この時はデジカメを使っていない時期だったもので、ご容赦ください。

 実際の又兵衛まつりであるが、行事は大きく、月山詣りと又兵衛を祭る神事からなっている。  月山詣りは本来又兵衛まつりの早朝に行われるものであったが、現在は網上げ作業の関係で、祭り前の適当な日を選び行っている。当日は漁場の漁師たち数名で重茂半島に鎮座する月山神社と黒崎神社に参拝し、漁場で獲れた鮭を雌雄二匹奉納する。この際鮭の雄の精子と雌の卵を社殿にこすりつける所作をする。これは月山・黒崎両社が宮古湾の守り神と考えられており、この所作をすることで神が怒り、湾内を荒らすと考えられているためである。海が荒れれば定置網などはあげなくてはならず、その分川に戻る鮭が増えることから津軽石川の鮭漁が豊漁になると考えられているのである。

 又兵衛まつりの日、漁師達は奉納する鮭を持ち地区内の小祠をまわる。盛合家の稲荷社、恵比須堂、稲荷神社、御前堂である。それぞれ地区内の漁の元締めであった盛合家の屋敷神や、エビス石を祀る恵比須堂、漁場であるトメに隣接していた稲荷神社や御前堂など鮭漁まつわる場所である。参拝が終わると事前に作られていた又兵衛人形が川原に立てられ、祭壇が設け神事が行われる。神事にもその日とれたばかりの鮭が雌雄二匹奉納される。20人程度いる漁師のみならず、組合の役員など鮭漁に関わる全ての人が参列する。この後、又兵衛人形はトメの脇に安置される。

 又兵衛まつりはその特異な形の人形をまつるというだけではなく、月山詣りから始まり、地区内の小祠への参拝まで、又兵衛人形を中心にしながらも、地域の鮭にまつわる複合的な儀礼として行われているのである。

2005 12 07 09:55 AM | 固定リンク | コメント (81) | トラックバック

又兵衛の伝説

先日の記事で紹介したように、津軽石川の又兵衛祭りではいくつかの由来譚が残されています。大きくは2種となりますので、ここに紹介させて頂きます。
 まず第一の話は、前回の記事で引用した新聞記事の元となったと思われるものです。


又兵衛は盛岡藩士であり、飢饉で困窮する地域の人たちを救うため、禁を犯して藩営の留を解放して地域の人々を救った人物である。そのため、又兵衛に感謝するために祭りを行っている。

 次の話は少し趣が違います。

あるとき又兵衛という浪人が来て、困窮したあげく津軽石川の鮭を盗んだ。これに怒った津軽石の人々によって殺されたが、絶命する直前に、殺されたことを祟り今後鮭を川にぼらせないと述べた。このことを畏れた地域の人々は、以後又兵衛の人形を作り祀ることで祟りを避けるようにした

 又兵衛の性格が全然違うのですね。このあたり、人類学/神話学的な分析も可能でしょうし、その場合は基本的に同一構造の話として理解可能だと思います。民俗学/口承伝承研究的な分析では、後者の方が先ではないかと考えられています。いずれにしても、津軽石川という地域がサケの恩恵を大きく受けており、資源を大切にしていたことを示す一例として見ることができる一連の伝説として見ることができます。
 そもそも、岩手県にあるのに津軽石川という名称がついたのも、その昔、当時の領主が津軽より石を持ってきて川においたところ、サケが遡上するようになった、という伝説から付けられた名前とされていて、この石と対になる石がいまも青森県黒石市にあるとのこと。
 津軽石川は本州では一番サケの遡上量が多い川として知られていますが、それに違わぬサケにまつわる伝説が多く残されている川でもあります。

2005 12 07 09:47 AM | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

津軽石川の又兵衛祭り

 ご無沙汰しております。
 ニュースを見ていたら、宮古市津軽石川の又兵衛祭りが紹介されていました。あぁ、そんな時期だな~、などと思っていましたが、ふと気になり、検索を掛けてみると、なんと本ブログで紹介していないじゃありませんか。
 ということで、

リンク: 河北新報ニュース 川サケの豊漁祈願 Y字型のわら人形祭る 宮古.

 河北新報は会員登録が必要ですので、一部を抜粋すると


 サケが多く遡上(そじょう)することで知られる岩手県宮古市の津軽石川で30日、サケの豊漁を願い、人に見立てたわら人形を祭る伝統行事「又兵衛祭り」が行われた。
 飢饉(ききん)に苦しむ村人のため、後藤又兵衛という武士がおきてを破って川のサケ止めを広げてサケを捕り、処刑された―という伝説にちなむ。11月30日は又兵衛の命日とされる。

 サケを中心に据えた祭りはいろいろとありますが、最も有名な祭りかもしれません。特に又兵衛人形と呼ばれる二股のワラ人形を立てることが知られていて、古記録に寄れば、漁期に先立って行われる豊漁儀礼だったようです。
 最初の鮭を捕って祭りが行われるという点では、何度か紹介したことのある初鮭儀礼の一つとして理解することができます。ちなみに、津軽石川は日本で最も遡上時期の遅いサケ群とされ、漁の最盛期が年明け1月で、2月下旬まで遡上することで知られています。なので、この時期、11月末に漁の最盛期を前にしたこういう行事が行われているのですね。千歳川ではそろそろ漁期も終わりだというのに。この遡上時期の違いもなかなか興味深いのですが、その話はまた別の機会に。
 また、記事中、後段にも記されているように、祭りの由来譚がなかなか興味深いため、色々と研究がされています。ただ、命日というのは初耳なのですが、いまはそのように言われているのですかね。
 ということで、由来の話や私が見てきた行事の内容については、後日改めて紹介さえてもらおうと思いますが、まずは行事の紹介まで。

2005 12 02 08:30 PM | 固定リンク | コメント (61) | トラックバック

村上で鮭魂祭

 鮭の町、村上で鮭の日からみの行事として、鮭魂祭が開かれたとのこと。

リンク: 村上市で鮭に感謝し、鮭魂祭.

鮭(サケ)からもたらされる自然の恵みに感謝する「鮭魂祭」が鮭の日の11日、村上市羽黒町の羽黒神社で開かれた。料理店や加工業者、漁協関係者らが参加し、鮭の魂を供養した。  「鮭」という字のつくりに「十一」が2つあることから、同市が1987年に11月11日を鮭の日に決定。ことしで6回目の鮭魂祭は、同市観光協会に加盟する旅館や料理店、土産品店などの女将(おかみ)でつくる「せなみすみれの会」(山貝世津子会長)が、鮭の日にちなんで始めた。

 以前、サケの慰霊をするということについて書いたことがありますが、この場合、感謝の行事と言うことになりますかね。

2005 11 12 03:06 PM | 固定リンク | コメント (84) | トラックバック

縄文時代のサケの骨

 縄文の遺跡からサケの骨が見つかったそうです。

リンク: 魚沼の遺跡で縄文のサケの骨.
リンク: 入広瀬「黒姫洞窟遺跡」 県内最古のサケの骨発見!.

 新潟県魚沼市の黒姫洞窟遺跡にて、他の動物の骨とともにサケの骨が混じっていたとのこと。場所は旧入広瀬村のようですが、さて、こんな場所でサケが捕れたのですかね?
 入広瀬の場合、サクラマスは遡上していたようで、潜水漁をしている絵が残されているのですが、とてもサケが昇っていける場所とは…
 この場合、サケ科の骨が見つかったというのが適切ではないのでしょうかね?まぁ、記事からはよくわかりませんが。どうでしょうか。報告書を見てみたいと思います。

2005 11 07 02:56 AM | 固定リンク | コメント (75) | トラックバック

迫川水系の展覧会

展覧会づいていますが、またまた展示の紹介を

リンク: 登米市歴史博物館:水と生きる.

 宮城県登米市の歴史博物館にて、「水と生きる」と題した展覧会が開催されています。登米市は北上川の支流、迫川があり、またラムサール条約で登録されている伊豆沼があります。特に伊豆沼では古くから様々な内水面漁業が行われており、今回の展示でもそのあたりが中心のようです。
 そうした中で、迫川のサケ漁も少し扱われているとのこと(内部情報^^;)。サケに限らず、内水面漁業にご興味のある方、是非どうぞ。

2005 10 15 09:03 AM | 固定リンク | コメント (93) | トラックバック

「新潟の鮭」展

 すっかり失念していましたが、新潟市歴史博物館にてサケの展覧会が開催されています。

リンク: 平成17年度特別展「新潟の鮭」展/新潟市歴史博物館 みなとぴあ.

 タイトルを拝見すると、サケにまつわる考古から民俗まで幅広く扱っているようですが、特に北洋漁業は目玉として展示されているようです。
 期間中、レストランでサケ料理が食べられるなど、いろいろなイベントも用意されているようです。是非お立ち寄り頂ければと思います。

2005 10 12 03:31 PM | 固定リンク | コメント (73) | トラックバック

アイヌのサケ儀礼

 昨年も若干紹介しましたが北海道ではサケのシーズンに合わせ、アイヌの豊漁儀礼が各地で行われているようです。

リンク: 「サケ豊漁を」 神々に祈り 登別でペッカムイノミ.


【登別】神に感謝してサケの豊漁を祈る、アイヌ民族伝統の儀式「ペッカムイノミ」が十一日、登別市の登別川河口付近で行われた。
 道ウタリ協会登別支部(上武やす子支部長)主催。サケの遡上(そじょう)期に合わせて毎年行われ、今年で十九回目。

リンク: 伝統のもりで楽しくサケ漁 白老でチェプ祭.


【白老】秋サケの豊漁を祈願し、自然の恵みに感謝する第十七回しらおいチェプ祭(道ウタリ協会白老支部主催)が十日から二日間の日程で、町内のポロト湖畔(若草町)で始まり、大勢の人たちがアイヌ民族の伝統文化に親しんだ。
 祭りは、漁をつかさどる神に感謝するカムイノミで開幕。ムックリ演奏やアイヌ紋様の刺しゅう体験などが行われた。
 会場内に設置された七メートル四方のいけすでは、マレクと呼ばれるもりを使った伝統的な漁法を小中学生が体験。体長六○センチほどの大きなサケが捕まると、会場からは拍手が沸き起こった。

 特に、白老の行事は単に儀礼を復原するだけではなく、サケに関する漁法の復原や料理など幅広く行われているようです。
 こういうの、土地と切り離すと意味がなくなるのかもしれませんが、仙台とか東京とかでも実演してもらえないものですかね。是非一度見学してみたいと思っています。

2005 09 17 02:38 PM | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

川袋川の慰霊碑

 先般、秋田県象潟町の川袋川に行ってきました。当然時期ではないので、漁を見に行ったのではないのですが、ここの漁場に千本供養塔婆が立っていたことを思い出し、写真を撮ってきました。
kawabukuro02
 サケが千本捕れる、つまりたくさんとれると感謝の意味を込めて、漁期の終わりに建てられるもので、たくさん立っていると言うことは豊漁が続いていることを示しています。この習俗は、秋田県から新潟県北部までにみられ、車で沿岸を走っているとたまに目にします。もとは沿岸漁業の漁師がはじめたもの、という説があるようなのですが、はっきりしません。
 で、今年行ってみますと、新しい石碑が
kawabukuro01
そう、鮭の供養碑です。先般、馬淵川に供養碑という記事を書きましたが、ここにも。日付をみると昨年建てたもののようです。これって千本供養塔婆とはどういう関係になるのですかね。機会があれば伺ってみたいものです。


2005 08 22 01:17 PM | 固定リンク | コメント (86) | トラックバック

馬淵川に鮭鱒供養費

 サケマス孵化場に行くと、よく供養碑が建っていますが、その建立にまつわるニュースです。
リンク: 名川の馬淵川増殖漁協「鮭鱒供養碑」を建立.

若干引用すると


 同組合の設立は一九九〇年と新しいが、馬淵川のサケのふ化事業は一九〇五年ごろから始まっており、一世紀の歴史を持つ。
 しかし、青森県内にある二十カ所以上のふ化場の中で、供養碑を建てていないのは同漁協だけだったという。
 組合員らの寄付で作られた供養碑は御影(みかげ)石でできており、表には工藤祐直町長の自筆で「鮭鱒供養碑」と刻まれている。また、裏面には組合員の名前と「ふるさとの 川に帰りし 鮭の群 無限の宝を残し 生れ故郷の川に眠る」というサケへの感謝の詩が記された。

とのこと。
 確かに食べる目的で獲る動植物を対象に供養費が立てられることがあり、日本人の動植物観・生命観の一つの現れとして説明されることがあります。たしか欧米ではこういう発想そのものがないんじゃありませんでしたっけ>自信はありません。m(_ _)m
 ただ、孵化目的の場合、これと同じレベルと捉えてもよいものなんですかね。もちろん獲っている人たちの感覚では同じレベルなのかもしれませんが、ある程度事業が軌道に乗っている場合、今獲っているサケは、自分たちが生産(?)したものを再生産している、という側面が強い訳なので、自然の恵みを分けて頂く、というのとは大分違うような気がします。もちろん、これもまた日本人の自然観、生命観の一つということなのでしょうが。それにしても、全ての孵化場で供養碑が建てられるというのはちょっと違うような気がしてしまうのですが…
 その場合、畜産などでも供養碑ってあるのですかね。どなたかご存じないですかね。

2005 08 10 11:20 AM | 固定リンク | コメント (88) | トラックバック

万葉集とサケ?

信濃の国を歌った万葉集の和歌「信濃なるちくまの川のさざれしもきみしふみては玉とひろはむ」を巡る話です。

千曲の和歌 詠まれた所推理

 記事によるとこの”さされし=さざれ石”がサケと関係があるのではという解釈が出されているとのこと。概要は

女性は朝廷に仕える人。恋人は信濃国に赴任し、献上品の係をしている。朝廷に届いた桶(おけ)の中に生きた鮭(さけ)と一緒に小石が入っていた。その小石を見つけた彼女は「もしかしてあの人が鮭を取るために踏んだ石ではないだろうか……」と思ったとしたらどうだろうか。
  です。国文学的な解釈についてはコメントを控えますが、興味を持ったのは、鮭を捕った桶に一緒に入る石というくだりです。  サケと石の関係は民俗学でも指摘されていて、サケは石を目指して川を上るという伝承は日本海側を中心に広く聞かれますし、これに弘法大師を交えた”弘法と石”伝説というのは非常に多くのサケが遡上する地域で聞くことができます。  もしこの和歌の解釈が正しいとすれば、さらにこういうサケと石の関わりと繋げて解釈することができるのかな~と夢想したしだいです。

2005 04 02 11:03 AM | 固定リンク | コメント (80) | トラックバック

アシリチェプノミ

 アイヌの初鮭儀礼については以前紹介したことがありますが、こちらは札幌市内を流れる豊平川の初鮭儀礼についての記事です。

アシリチェプ(新しいサケを迎える)の季節

 毎年行われているということですが、残念ながら23回目となる今年の儀礼は9月20日に行われたそうです。記事の中で興味をもったのは、


 エカシ(長老)は「和人が来るまで昔は自由に獲れたものだ。しかし普段はホッチャレと呼ぶ、卵を産んで力尽きたサケを食べた。新しいサケが上がって来る時だけ、神様にお願いして獲らせてもらったのさ。獲りすぎると、サケは戻って来なくなるだろう。自然を大切にした民族の知恵だよ」と話す。行政は未だに先住民の伝統文化の儀式に使うサケの捕獲を川で認めていない。

の部分で、2点、一つは先住民の儀礼での使用でも捕獲は許可されず、儀礼用のサケは石狩湾で捕獲して、それを川の生け簀に放して捕獲をするという点と、もう一つはアイヌはホッチャレを主に食べていたという点です。
 前者はここでも何度かふれているように、そろそろ水産資源保護法の運用については考え直してもよいのかな、という話とつながりると思います。サケ釣りの人気もそうですし、獲れたサケの処理に困っているという現実もそうですが、あまり杓子定規に法を適用するのもどうかな、という気持ちがします。
 後者はまったく別の話ですが、サケの脂肪分は食べる際のおいしさを左右しますが、一方で酸化すると毒性をもつ、という面があります。そのため冬季の食料としてサケを捕っていた昔の日本人も含め、北太平洋の多くの民族ではサケはなるべく脂質の少ない、ホッチャレなどを好んで獲り加工していたという話があります。
 これは資源維持という面でも産卵後のサケを主に捕るわけですから合理的という面もありますし、川で獲る方が獲りやすいという技術的な面でも合理的です。日本でもサケ漁を川で行うことが一般的だったのはこうした背景があるためと考えられています。
 ただ、現在は上記のコメントにもあるように、自然に対する”知恵”ということで説明されてしまうのはどうなものなのだろうか、と思った次第です。もちろん自然に対する知恵なのですが、もう少し人間側の事情もあって、ということは考えてもいいのかな、という気がします。

2004 09 30 11:27 AM | 固定リンク | コメント (84) | トラックバック

アイヌの豊漁儀礼

 *astroblogによると、アイヌの豊漁祈願儀礼が千歳市でひらかれたそうです。

*astroblog: アイヌ伝統儀式「アシリチェップノミ」/サケに感謝

 もとネタはasahi.comのこちらです。
以前、初鮭儀礼について触れたことがありますが、この儀礼もサケを獲ってそのシーズンの豊漁を祈願するという点で、初鮭儀礼の系列にはいる儀礼のようです。
 観光目的なのでしょうか、開催された経緯はわかりませんが、こうした儀礼を開催し、みることができるのはなかなか貴重な機会だと思います。
 あと、私的には写真に掲載されているマレック(回転銛)を使った漁の実演を是非見たかったです。

2004 09 07 08:58 AM | 固定リンク | コメント (85) | トラックバック

サケinみんぱく動物園

 国立民族学博物館にて開催中の企画展「みんぱく動物園」の関連行事として、動物ミッションカードというものがあるそうです。
 この展覧会を御覧になったGloomy Twilightさんによると、

Gloomy Twilight:みんぱく動物園

この企画は常設展示の中の動物意匠をさがすというもののようで、「ウシ」・「ゾウ」・「トラ」・「サケ」についてそれぞれ3点ずつさがすというもののようです。
 サケについても、特に北西米インディアンの意匠に特徴的なものが多々ありスプーンなどに描かれることがありますので、そういったものを探すということだと思いますが、はたして回答ではどのようなものがあげられているのでしょうか。ちょっと気になります。
 「民族」にとって、ある動物がどのように見え、それを意匠化するのかというのは、文化の問題として非常に大きいテーマだと思います。その点で、単に見て下さい、というだけではなく、探してみてください、違いを積極的にみつけることができるという点でなかなかおもしろい企画ではないでしょうか。

 みんぱくは、非常に意欲的な展示企画をいろいろと立案・実施しているので気にしているのですが、なかなか行く機会が無く、いつも心にひっかかっています。この企画も企画展示と常設展示を結びつけるという点で、とてもおもしろそうですね。
 あとQRコードを利用した展示解説、というのは、とてもおもしろいと思います。ただ、以前博物館内での携帯カメラ利用について問題になっている(撮影不可というのが一般的なのですが、思わず撮影してしまう人が後を絶たない)、という新聞記事を見ましたが、それとの関わりではたしてどの程度活用がひろがるのか、とても気になります。自分も問題のない展示で是非利用してみたいような気がするアイディアなのですが。

2004 09 01 11:37 AM | 固定リンク | コメント (96) | トラックバック

山倉大六天の鮭祭り

栃木県河内町のサイトに、山倉講の記事がありました。
河内ふるさと探訪-ふるさとの信仰(2)
山倉大六天を信仰する講で、現在も集まりをもっているようです。
で、山倉講の行き先、山倉とは、千葉県山田町の山倉神社とその別当寺である観福寺で、こちらのサイトこちらのサイトにその詳細が載せられています。前者から引用すると、


サケ祭り/山倉大神(山田町)
 "鮭の大六天"ともいわれ、鮭の神様として山倉様の名で知られる山倉大神の例大祭。山倉神社には、村民の幸福を夜ごとに現れる竜神に祈り、鮭を献上して以来、大きな鮭が山倉地区の栗山川にのぼってきたという伝説がある。
 祭りでは、現在ではわずかとなってしまった鮭("竜宮進献の御鮭"ともいう)を献上して無病息災を祈る。当日には鮭の切り身が参詣者に配られ、これを食べると"災いをサケる"とか。特に切り身の御符は、風邪に効くらしい。
 古式豊かな行列に厳かな儀式が執り行われる。山車・神輿・露店も出て賑わう。
◇日 時:12月7日(金) 10:00~20:30〔毎年12月7日〕
◇場 所:山倉大神/香取郡山田町山倉2347
◇交 通:JR成田線佐原駅からバスで約30分、山倉大神下車
◇問合先:℡(0478)79-2706 山倉神社社務所

 ただし、祭日は変更になっていて、現在は12月の第一日曜日です。一昨年よりの変更ですので、御興味をもたれた方は、直前に問い合わせをされたほうがよいです。
 書かれている切り身の頒布のほか、この身を黒焼きにしたものが護符として頒布されます。これは腹痛に利くとされています。なお、観福寺では現在も12月7日が縁日となっており、やはり黒焼きの護符が頒布されています。講の参詣先としてはこちらのお寺のほうが中心であったようです。
 なぜ、サケか、といえば、次のような伝説に由来しています。

 かつて、弘法大師が旅をしていた時、山倉の地で多くの人が疫病に苦しんでいた。これをみた大師が90日間の護摩法要をし、その満願の日に、竜宮よりの生贄のサケが川から護摩壇に飛び込み黒焼きとなった。この黒焼きを食べさせたところ、病から直った。そこで、この地に寺を建て、満願の日であった霜月初卯の日を縁日とした。これが現在のサケ祭りの日である。
(東北歴史博物館「鮭-秋味を待つ人々」より要約抜粋)

 というものです。
 サケにまつわる伝説にはこうした弘法大師との関わりで伝えられるものが多数あります。以前紹介した、「鮭明神」にも登場した石との関わりなどでも弘法大師が登場します。この点はまた折を見て紹介させていただきます。

 関東ではサケを御神体なり縁起にもつ社寺は少なく、その中では大倉神社と観福寺は非常に大規模に祭礼・縁日が行われています。信仰する方もかつては千葉から茨城そして、上記のとおり栃木県まで広範囲に渡っていました。
 私は使ってはいませんが腹痛にも利くそうですから、お近くの方はぜひ祭りを見に行き、護符を入手されてはいかがでしょうか。

2004 07 06 05:45 PM | 固定リンク | コメント (91) | トラックバック

金峰神社の王神祭

祭礼の紹介です。
新潟県長岡市の金峰神社の祭礼でサケを切り分け鳥居の形に並べる年魚行事があるそうです。

王神祭(おうじんさい)

王神祭はいくつかの行事でできていますが、その要となるのが又倉行事と年魚行事です。年魚行事とは、最高の神饌とされる信濃川を上ってきた雌のサケを、長い箸と包丁で切り分け、鳥居の形に並べる行事です。神に供えられるサケには一切手を触れずに執り行われます。緊張感漂う伝統の神事は、サケを媒介として王神に信濃川の治水と豊穣を祈った遠い昔を想像させます。
 11月5日が祭礼だそうです。是非見に行きたいものです。

2004 07 06 09:27 AM | 固定リンク | コメント (83) | トラックバック

鮭叩棒

 「東北民俗学研究」第6号所収の論文に

   東北地方の鮭叩棒とアイヌのイサパキクニについて

というものがあります。ネット上で公開されていますので、ここに紹介させていただきます。
 サケの叩き棒については、以前「アラスカのサケ供養」のエントリーでも若干触れましたが、サケを獲った後、頭を棒で叩くことで殺すために用いる道具で、日本に限らず、広くみられるものです。サケの頭が軟骨なので、と説明されています(が、これは魚一般なのか、サケ属魚類だけなのか、ちょっと調べが付いていません。どなたかお教えいただけると幸いです)。
 論文ではアイヌの叩き棒もあわせ、呼称や使い方、また叩くときに呪言とわれわれはいいますが、唱え言などについて報告されています。信仰関係にご興味の方はご一読を。

2004 07 05 10:37 AM | 固定リンク | コメント (78) | トラックバック

サケの方言

サケ(シロザケ)に関する地方名一覧です。
tokusyy

 おもしろいですね。情報源がはっきりしないので、なんともいえないですが、サケ、シャケからはじまって、ブナザケ、ホッチャレ、トキザケ等々、特定の状態のサケの名称までのっています。なかにはハララゴ(たぶん筋子かイクラだと思うのですが)などもあります。
 私的には、宮城の呼称として掲載されている「オオメ」とか「オオマナコ」が気になりました。いや、聞いたことがないだけなのですが。確かにサケって、目に力があるというか、印象に残るような気がします。メもマナコも目のことでしょうから、そうした名前が付いたような気がしますが。
 この他、宮城ではオオスケ、秋田ではコスケとかよくみると興味深いデータが並んでいます。
 この名称、ほっちゃれも含め、気にしているのでこれにないデータが手に入ったら随時紹介したいと思います。

2004 06 21 09:41 AM | 固定リンク | コメント (82) | トラックバック

アイヌ語のほっちゃれ

 以前のエントリー、「ほっちゃれ」でホッチャレの語源としてアイヌ語という説があると紹介しました。で、トラックバック元の”ころころ”さんとも約束したので、調べてみました。
 先に結論をかくと、「微妙」というところでしょうか。

 肝心の部分ですが、更科源蔵・光による「コタン生物記」にありました。


一般に北海道では産卵の終わった老魚のことをホッチャレといっている。アイヌ語のホ・チャリで、尻からばらまくの意からともいわれているが、日本語らしいという説もある。アイヌ語ではこれをホ・キライ(尻が櫛<になる>の意)といったり、オイシル・チェプ(ものがこすった魚)といったり、とくにすっかり産卵が終わって卵のなくなった雌魚を、チポロ・サク(卵なし)、雄のホッチャレをウプ・サク(白子なし)などと呼ぶところもある。

 この記述が頭にあったので前回のエントリーになりました。ひとまず「ホ・チャリ」という言葉がアイヌ語にあるということが確認できます。ただ、つづいて、「ピシル・チェプ」などの言葉が続いており、呼び名は各地違うなかの一つということのようです。「日本語らしい」ということで、日本語の「放り投げる」の「ほっちゃる」のニュアンスが気に入ってアイヌの人達が使ったのか、「ホ・チャリ」を聞いた和人たちが「放る」と結び付けて使ったのかわかりません。

 ただ、アイヌ語は地域による違いが大きいので、他の人はどのようにほっちゃれのアイヌ語を報告しているのだろうかと思い、犬飼哲夫氏の記述をみると、サケの名称として、


サケ カムイチェップ
雄サケ チャ
雌サケ オス
大きいサケ シチャ
小さいサケ モチャ
大きい雌 ポロオス
小さい雌 ポンオス
銀毛 アッツヨルンチェップ
ホッチャレ シルカムイチェップ ないし オンネムカムイチェップ
(犬飼哲夫「アイヌの鮭漁に於ける祭事」より)

 このように記載されていました。ちなみにこれは白老の事例です。ホッチャレは別の名称が与えられています。その他の人の報告を見ても、意味としては、尾鰭が櫛のようになった(ぼろぼろになった)という意味が多いようです。

 ということで初めに延べたように「微妙」ということでまとめさせていただきます。
 しかし、今回調べるとアイヌにしても和人にしてもサケに関する名称が非常に多様であることがわかります。また機会をみて、名前の話を紹介させていただこうと思います。
 なお、文献は谷川健一編「鮭・鱒の民俗」三一書房(1996)に所収の論文を利用しました。

2004 06 15 01:52 PM | 固定リンク | コメント (72) | トラックバック

アラスカでサケ供養

 旧聞ですが、毎日新聞新潟版の記事より(yahooニュースよりたどりましたが、リンクは切れていました。)2004年5月26日付け記事です。アラスカ、ユーコン川にサケ供養の地蔵堂をつくり、毎年供養しているとのこと。


「お世話になっているサケを現地で供養」--加島さんが来月、アラスカへ /新潟
 サケ茶漬けやサケの粕漬けで知られる新潟市東堀前通八番町の食品会社「加島屋」の社長、加島長作さん(69)が来月、輸入しているサケの漁場である米アラスカ州のユーコン川を訪れ、サケの供養をする。【渡辺暢】
 ◇30年前から食品加工業、加島さん
 加島屋は、サケ茶漬け用のキングサーモンをアラスカ州エモナックの水産会社から年間100トン以上仕入れている。
 サケ供養は、30年前に加島さんが始めた。ユーコン川のそばにある水産会社のサケ解体工場の近くに、ポケットマネーで地蔵堂を建立。毎年、社長自身が石の地蔵を置き、自ら経をあげてきた。今年も社員や現地の関係者らが出席し、来月20日ごろのサケ漁解禁に併せて、供養する。
 加島さんは70年代から毎年、品質管理のため現地に足を運び、漁の現場をみてきた。30年ほど前、アラスカの漁師たちは、水揚げしたサケをこん棒で殴り、殺していた。暴れるままにしておくとサケ同士でぶつかり合い、身が傷んでしまうためだ。「間接的にではあれ、自分も殺生してるんだなあと実感した」と加島さんは言う。
 そこで供養を思い立ち、毎年アラスカを訪れる際に続けてきた。漁法は変化し、今はこん棒は使われなくなったが、サケを殺して商売していることは変わらない。「地元の漁師も私たちも、サケに支えられている。ありがたいことと思いつつ、毎年、手を合わせています」と加島さんは話す。(毎日新聞)

 ちなみに加島屋さんはこちらで、サケの加工品の世界では有名なお店です。私も本店に行っていろいろと買いあさったことがあります。
 サケ漁解禁に合わせて供養ということですから、以前触れた初鮭儀礼になるのでしょうか(笑)。そのへんはおいておいて、おもしろかったのは、サケをこん棒で叩く姿を見て、供養を思い立ったということです。サケを棍棒でたたいて殺す方法は、アメリカインディアンから本州日本まで各地で見られ、その棒に日本では「エビス棒」、アイヌだと「イサパキクニ」という具合に特別な名前を付けていることです(現在では「棒」としかいわないことが多いですが)。やはり直接殺すという行為は、なにかすまないという気分にさせるからでしょうか。また、アメリカでも単なる棒ではなく、彫刻が施され、特別な棒として位置づけられています。こうしたこともあり、サケの文化誌研究においては、この棒は一つの研究対象に位置づけられています。
 以前、取材でいったある川では、いろいろと撮影をしていたのですが、叩いているところは撮らないでくれ、といわれたことがありました。各地、どの川でも叩いているところを見ていますので、私はそれが当然だと思ったので、その漁師さんの反応にちょっと意外な感じを覚えました。まあ、まったく初めて見る人がその姿をみれば、「あぁかわいそうに」という感想を得るのでしょうから、写真として残すのに抵抗があるという気持ちも分からないのではないですが。
 各地にサケの供養碑などもありますが、こうした直接殺す感覚が、そうした碑をつくる理由にあるのかもしれません。

2004 06 12 01:20 PM | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

ほっちゃれ

トラックバックつながりの最後になるでしょうか。先のハヤトさんのトラックバック先になります。
いなあしゃるふろく: ほっちゃれ
 ほっちゃれの話はさきほどにまかせるとして、追記としては、こうしたサケを「ねこまたぎ」と呼ぶ地域もあります。猫も食べないということのようです。ほっちゃれは語源としてアイヌ語という説もあったように記憶していますが(ちょっと曖昧なので、後日ちゃんと調べます)、成熟したサケを「ブナ」とよんだり、サケそのものを「アキアジ」と呼ぶなど、サケの呼称の広がりは興味深い物があります。
 そうそう、こちらの記事中に、鮭の形をした「ほっちゃれ」という饅頭が北見にあるという記述がありました。これはメモですね(なんだかんだで饅頭にもどった本日、というオチでしょうか)。

2004 06 08 11:19 PM | 固定リンク | コメント (82) | トラックバック

福岡県嘉穂町の鮭神社

遠賀川上流、福岡県嘉穂町の鮭神社の献鮭祭についての情報です。
献鮭祭
 この神社は、現在知られている限り、サケを信仰する最南西端の神社です。ここの献鮭祭は12月13日ということで、この日にサケは参拝のため遠賀川を遡上すると伝えられています。
 是非一度行きたい神社ですが、さすがに仙台からだと…
 以上、情報と自分用のメモでした。

2004 06 01 04:01 PM | 固定リンク | コメント (94) | トラックバック

神になった魚―カムイチェプ

サケに関わる信仰の概略をまとめたページです。
神になった魚―カムイチェプ
主要部分を引用すると、


アイヌ語でサケをシペ(Sipe)ともいう。真の魚、という意味だ。主食という意味もある。本当に大切な魚だったことが、これらの呼び名からもわかる。
 アイヌ民族にとって身の回りのものは全てカムイの国からやってくる。サケもまた、神の国からやってきたのである。自らもアイヌ民族のひとりであり、北海道大学教授であったアイヌ研究者・知里真志保は、論文「神謡について」のなかでこう語っている。
「アイヌにおいては、獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である(―というよりも、神々が我々人間の目にふれるときに限り、かりにあのような姿をとって現れる、という考え方である)」
 獣鳥虫魚介草木日月星辰みな神である、という表現がすごい。
 サケは神の国からやってきて、人間の国で食べものになり、また神の国へ帰っていく。
 このような精神文化は、北方圏に共通しているもので、たとえばカナダ先住民にも「サケの国」の伝説がある。
 日本でもサケが神になった地域は多い。

ということです。海から大量に訪れるということは、海の先にサケが集まる神の国がある、という発想がアイヌをはじめ、北方諸民族の中にみられる、ということです。このページではあまり触れられていませんが、サケにまつわる信仰には次のような特徴があるような気がします。
  サケは神の国から訪れる特別な魚である。
  人々は神の恩恵によって、タンパク源としてサケがたくさん食べられる。
  サケは神の国からまとまって人界を訪れる。
  それに先立ち前触れのサケが遣わされる。
なので、サケに関わる信仰には、初鮭、つまり最初に捕れるサケに対する信仰が広くみられる。ということです。こうした儀礼を初鮭儀礼と呼びます。日本では最初のサケを取ると、神棚やエビス様などに供え、その身を漁師仲間や家族などで分け合って食べる、といったかたちの儀礼・行事として新潟県から山形県にかけて濃密にみることができます。
 漁期の後の豊漁感謝の儀礼や、出漁前の豊漁祈願の儀礼はサケに限らず多くの魚などにありますが、漁を開始してから行う儀礼はあまり聞いたことがありません。サケという魚を巡る信仰の特徴だと思っています。
 ただ、初鮭儀礼は全ての北方民族が持っているわけではなく、北西海岸インディアンと呼ばれるアメリカ大陸沿岸と日本列島程度です。サケが非常に多く上るカムチャッカ半島などでは、終漁儀礼はあるのですが初鮭儀礼はない、と報告されており、こうしたサケの文化的な位置づけは必ずしも普遍的なものではないようです。私の中では生息範囲の縁辺地域であるため豊凶の差がでやすいが故に、初鮭儀礼が行われるようになったのではないかと思っています。まあ、この点はまだまだ課題が多い、仮説の3歩手前みたいな話なので、ちょっとしたアイディアとしてお読み下さい。

2004 06 01 03:53 PM | 固定リンク | コメント (84) | トラックバック

サケの千本供養塔婆

ネットを見ていたら、こんな記事がありました。
二つの供養塔
 サケの豊漁感謝のための供養塔婆です。いわゆる鳥獣供養の一つになります。日本人の自然との関わり方を示す一つの例として考えられています。
 サケの塔婆もまた、こうしたものの一つですが、特徴的な点として山形県の庄内地方を中心に、新潟県の北部と秋田県の南部だけでみられる習慣ということです。立てている場所では、いずれも漁期の末、12月ごろに豊漁だった年のみ立てます。そのまま朽ちるまで立て続けるので、10本ほどの塔婆が川原に立つ姿は壮観です。
 文中、赤坂氏も述べていますが、サケという魚が特別な魚としてその地方に息づいている一つの証拠なのだと思います。ただ、この習俗そのものは、海辺の漁師の習俗だったという報告があり(菅豊氏「修験がつくる民俗史」)、その由来や展開についてははっきりしません。
 私もなんどか塔婆の姿は目にしているのですが、直接立てる方にインタビューをしたことがありません。機会を見て話を伺いたいものです。

2004 05 18 12:13 PM | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

鮭明神

 今週のココログガイドに本ページが紹介されました。とてもうれしいのですが、いかんせん、サケネタは冬枯れです。先週ぐらいだと、まだあったのですが、今週は本当にありません。
 ということで、ネタ枯れのときは写真を、ということで、今回はこれまでと趣向を変えて、信仰関係の写真です。
myoujin.png
 鮭明神と呼ばれる小祠です。新潟県小出町の諏訪神社境内に鎮座しております。かつて、魚野川(信濃川の支流で、古くからのサケの産地として知られています)のサケが取れなくなり、どうしたことか、と川に漁師が潜ったところ、サケが一箇所の石に集まっていることがわかった。その石はサケの顔をしており、これがサケのカミサマに違いないということで、拾い上げ、祀ったところ、以後サケが獲れるようになった、という伝承を持つ明神です。
 よく見ると、二ヶ所のくぼみがサケの目に見えないこともありません。
 サケは母なる川を上るのではなく、川底の石を目指して上る、という信仰は広くみられ、石を粗末にしたらサケが上らなくなった、石を持ってきて川に投げ入れたらサケが上るようになった、という伝承が各地で見られます。先日紹介した津軽石川も、津軽の石を投げ入れたらサケが上るようになったので、「津軽石」の川と名前が付いた、という伝承があります。
 サケを巡る信仰もまた、おもしろい広がりのある世界です。時期を見て紹介していきます。

2004 04 21 10:24 AM | 固定リンク | コメント (84) | トラックバック