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北洋漁業の流し網

流し網で圧巻 誇り今も
朝日新聞富山版の記事です。北洋漁業における流し網の導入は1931年に北海道庁の依頼により富山県の漁師が始めたのが最初で、それまでは定置網漁だった、ということです。

 目当てのサケとマスは回遊魚。一定の深さ、水温、塩分濃度の海域を巡り、えさを食べる。「魚が泳いでいるところに、網を置くことができれば」。だれもが夢見たことを、長治らが実行しようとしていた。  占守島東海岸の沖合。  長さ約3キロに及ぶ流し網が入れられた。  縦約10メートル、横約40メートルの網を80個つなげている。海流に向かって泳ぐサケの行く手をさえぎるように、網をひく。数時間が過ぎる。水揚げだ。  「網を揚げたとたん、サケ、マスが白く見えたので、喜んだ」。長治はそう、書き残している。「この漁法しかない」と自信を深めた。  流し網は、北洋漁業の光景を一変させた。  大量に捕れるので、母港に帰る暇がない。やがて、単独船から、複数漁船が集団で漁をする母船式が台頭する。缶詰や塩蔵技術も向上した。北洋の海産物は繊維製品と並び、戦前日本の主要な外貨獲得産業に成長した。  瞬く間に、流し網は全国の漁業者に広まる。だが、富山の漁師の経験に裏打ちされた技術は、抜きん出ていた。他道県の漁師はぼやいた。「越中衆の通ったあとは、草も残らん」
 北洋漁業が200カイリ以降衰退し、現在は見る影もない状況ですが、まさに明治から昭和の水産史に特記すべき北洋サケマス漁を巡る一こまです。私自身は河川の漁が中心なので、北洋サケマス漁については概略しか知らないのですが、一つの川で漁をしていた時代から、全国規模で船が漁場に行く時代の漁は、漁師達の知恵があふれていたように思います。実際、遠洋に出ていた人とちょっと話すと、本当に目を輝かせながら話をしていただけます。  で、最後に北洋漁業の概略が記されています。
 流し網の発祥は諸説ある。北洋漁業を研究する郷土史家山田時夫さん(黒部市)は「起源は東北地方にあったのではないか」と言う。  明治後半、三陸海岸を大津波が襲い、漁師不足に陥った。県内からも入善出身者らが宮古(岩手県)に移住。新参者は沿岸の良い漁場を与えられないため、沖合に出る必要があった。その過程で試行錯誤を重ね、流し網が生まれたとみている。
 が気になりました。うーん、自分のフィールドである東北地方が沖合流し網漁の発祥という説があるとは。  ただ、明治16年の宮城県の水産図誌をみると沿岸の流し網が記載されているので、はたしてこの説が本当かどうか。これは今後の課題にしたいと思います。

2004 06 03 09:18 AM | 固定リンク

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