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又兵衛の伝説

先日の記事で紹介したように、津軽石川の又兵衛祭りではいくつかの由来譚が残されています。大きくは2種となりますので、ここに紹介させて頂きます。
 まず第一の話は、前回の記事で引用した新聞記事の元となったと思われるものです。


又兵衛は盛岡藩士であり、飢饉で困窮する地域の人たちを救うため、禁を犯して藩営の留を解放して地域の人々を救った人物である。そのため、又兵衛に感謝するために祭りを行っている。

 次の話は少し趣が違います。

あるとき又兵衛という浪人が来て、困窮したあげく津軽石川の鮭を盗んだ。これに怒った津軽石の人々によって殺されたが、絶命する直前に、殺されたことを祟り今後鮭を川にぼらせないと述べた。このことを畏れた地域の人々は、以後又兵衛の人形を作り祀ることで祟りを避けるようにした

 又兵衛の性格が全然違うのですね。このあたり、人類学/神話学的な分析も可能でしょうし、その場合は基本的に同一構造の話として理解可能だと思います。民俗学/口承伝承研究的な分析では、後者の方が先ではないかと考えられています。いずれにしても、津軽石川という地域がサケの恩恵を大きく受けており、資源を大切にしていたことを示す一例として見ることができる一連の伝説として見ることができます。
 そもそも、岩手県にあるのに津軽石川という名称がついたのも、その昔、当時の領主が津軽より石を持ってきて川においたところ、サケが遡上するようになった、という伝説から付けられた名前とされていて、この石と対になる石がいまも青森県黒石市にあるとのこと。
 津軽石川は本州では一番サケの遡上量が多い川として知られていますが、それに違わぬサケにまつわる伝説が多く残されている川でもあります。

2005 12 07 09:47 AM | 固定リンク

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