« テレビ番組の情報 | トップページ | 荒川へサケの稚魚放流 »

「川は誰のものか」

 著者ご本人よりコメントをいただいていた、菅豊著『川は誰のものか』(吉川弘文館)をようやく読了しました。
 菅さんは拙ブログでもなんどか紹介させていただいていますが、このブログ的に言えば人文・社会科学系サケ研究者の代表に位置づけられる方となります。その代表的なフィールドが、新潟県山北町を流れる大川です。この本は、この大川のサケ漁を巡る歴史であり民俗誌となっています。
 大川のサケ漁は個人がカギを使ってサケを引っかけるコド漁が現在も行われており、その”古めかしい”漁法はサケに限らず川漁の研究者も注目しているフィールドになります。この本では、そうしたコド漁を出発点に、大川郷と呼ばれる流域の人々が大川のサケ資源に対してどのように関わってきたのか、コモンズという概念を使って説明されています。菅さんはこのフィールドにおよそ20年近く通われ、これまでも多くの論文を発表されていますので、本書の内容の多くは私にとっても既知のものだったのですが、それを差し引いても大変おもしろい本でした。
 まず、コモンズですが、いわゆる共有地をイメージするとわかりやすいのですが、ある特定のメンバーによって管理される共有資源を指します。このメンバーは地域の住民といった広いものから、地域の古くからの住民とか、漁協の組合員など、地域内の特定の人のみという場合もあります。コモンズ研究はこうした使用するメンバーが決まった場所での資源管理に着目して、地域社会の中でどのように地域の人たちによってその資源を管理していたのかについて明らかにしようとするものです。
 で、菅さんが今回丹念に江戸時代から現在までの大川のコモンズとしてのあり方を示されて、一番興味を持ったのは、そうしたコモンズとしての大川のあり方がどんどん変化してきている点にあります。それは制度、すなわち使い方(漁場の割り振り方など)だけではなく、住民にとってのサケ漁位置づけの変化まで明らかにしており、単純に資源を管理するとか、利益を得るとか、そういう視点からでは切り込めない事例を提示されています。コモンズといった場合、どうしても理想的な資源管理のあり方、みたいな話になってしまい、静的な資源管理を記述してしまいがちなのですが、この本では、プロセスを明らかにすることで、決して安定的ではない、けど、その時代時代に合わせて釣り合いをとっていくコモンズが描かれており、その川にとって、現在どのように利用していくことが流域の人々にとって望ましいのか、ということを考えさせてくれるきっかけとなることが示されていると思います。
 この点で、是非多くの方、特に河川環境保全などに関心がおありの方はご一読頂ければと思います。

 一方私の関心からの感想と雑感も記させて貰います。
 基本的に、私の研究上の主たる関心は、明治以降の展開から、現在の姿にあります。そして、その部分についても非常に勉強になる内容でした。特に「公益」という言葉をキーワードに、明治初期の動きを説明したあたりは、自分も同じ時期の動きを気にしていて、うまく表現できなかったところだけに、膝をたたくとともに、自分の追求の足りなさを恥じ入るばかりでした。
 また、現在の状況を丁寧に記述した上で、コモンズのあり方が変化していることを明らかにされた部分も、大変勉強になりました。
 ただ、菅さんは別の論考でも、現在のサケ漁師がもつ、人工ふ化事業という国家戦略に関わるという社会性を指摘されていたのですが、この点についてあまり触れられていない点が少し引っかかりました。なぜなら、私自身はこの点が現在のサケ漁考える上で、かなり重要ではないかと考えているからです。つまり、「公益」「共益」「私益」の3者のバランスをうまくとることで経済的に必ずしもうまみのないサケ漁を続けていく原動力となっているのではないかということです。それは、人工ふ化による資源拡大だけではなく、具体的には学校教育への関わりや、鮭祭りなどに関わることで、「公益」(ここでの”公”を国のみに限定すると違いますが)に資するサケ漁という側面を生産できるているのではないか、ということです。この点が「楽しみ」の顕在化という面のみの記述になっているため、現在のサケ漁のありように少し違和感を感じてしまいました。
 以前ある河川で話を伺った際、「あなたはよくサケ漁を勉強していますし、書かれていることはそうなんだろうけど、もう一つ、私らがサケの資源拡大を切に願っていて、どうやったら孵化率があがるか、回帰率があがるか、それが一番考えていることなんだけど、その部分も書いて欲しい」と言われたことがあります。この川は一括採捕を行っていて、集約的なサケ漁を行っている河川ですが、ふ化事業以外にも、かなり多様な「公益」「共益」的な事業を行っていたため、私の調査はどうしてもそちらの方に目が向いてしまいがちだったため、このように言われたのです。この話は目から鱗の話で、たぶん現在のサケ漁師は、それはサケのもつ特殊性でもありますが、単純に漁をする人、という以上に活動に対して多面的な想いをもって漁に従事しているように思います。そのあたりもサケ漁の現在を考えていく上では記述していく必要があるように思います。
 もちろん、この部分は自分の関心ですし、自分で明らかにすればよいことなので、本の内容と直接は関係ないのでしょうが、あくまでも感想と雑感ということで^^;
 コンパクトにまとまっていて、非常に読みやすい本だと思います。川の世界に興味がおありの方、是非ご一読を。

2006 02 09 04:52 PM | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17258/8580049

この記事へのトラックバック一覧です: 「川は誰のものか」:

コメント

拙著に対し、詳細なご批評ありがとうございます!ご学恩に心より感謝申し上げます。

それで、「人工ふ化事業という国家戦略に関わるという社会性を指摘されていたのですが、この点についてあまり触れられていない点が少し引っかかりました」というご批判、確かにそうであります。その点には、十分に触れておりません。

ただ、その問題に関し、私は、それを「社会的使命感」という形で、評価いたしております。それは、「別稿」とご指摘いただいた1998 「深い遊び―マイナー・サブシステンスの伝承論―」『現代民俗学の視点1 民俗の技術』(私のホームページの研究業績ページにPDF)という論文に、ほんのわずか書かれています。ここまでよく読んでいただいて、感謝であります!

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~suga/publications.html

でも、たしかに、わずかに触れているだけです。p.244で「サケの人工ふ化事業という、ムラを超越した社会性をもった活動に自分たちは携わっているという彼らの使命感に目を向けると、この活動(サケ漁)を単なる“遊び”として位置づけるわけにはいかない。社会的重要性を担っているという自負と自信は、彼らが漁を続ける上で不可欠なものになっているのである」と、ほんのちょっと触れてみました。

たしかに、この社会的使命感は、現在の「公益」を考える上で、おもしろい一面をあらわしてくれます。彼らの中に、明治に組み込まれたような公益(=国益)としてのサケ漁という意識は、繰り返し再構築されています。さらに、学校教育という形で、サケ漁などの伝統的なアクティビティーが見直され、評価され、公的な価値を付与されていく。それによってサケ漁師たちが、サケ漁を行うことにささやかだけど栄誉感をもち、それもサケ漁継続のひとつの要因となっていると思います。ここに立ち現れる栄誉感は、国家というより、もっとローカルな世界に向けてのものでしょうね。多様な「公」の立ち上がりを考えなければなりません。

一方で、そのような栄誉感、あるいは社会的役割、重要性を与えた仕組みやアクターというものも無視できません。それは、サケ漁師だけが自立的に獲得したものではなく、それこそ水産行政や教育行政、さらにもっと大きな(外来の)環境思想というものの影響にも目配りする必要がありそうです。

拙著で触れましたが、やはり「歴史的なもつれあいの実体」として、そのような状況を捉える必要があるのでしょう。

拙著は、20年後に続編が出る予定です(独りよがりの勝手な予定)。その時には、その点にもう少し踏み込んでいきたいと思います。

ご批評ありがとうございました!

投稿者: 菅豊 (Feb 10, 2006 12:21:55 AM)

早速のコメント恐縮です。
 確かに単に公益だけではなく、それがローカルな栄誉的なものにもつながっている点が重要ですよね(そして、この部分を見いだしていくというのが民俗学の醍醐味だと思っています)。私自身もこの部分が気になっているのですが、なかなかうまく分析できずに苦しんでいます。
 このあたりから「歴史的なもつれあい」の部分、確かにそうなのですが、なかなか解法の難しい部分も多いのではありますね。なんとか自分なりの答えを模索しているところですが…、なにかの折りに御教示いただければと思っています。
 なにはともあれ、20年後(う~ん)、楽しみにしております^^;

投稿者: ruger (Feb 10, 2006 10:23:22 AM)

コメントを書く