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文化を行政する

 お世話になっている菅さんのブログで、当方でも以前取り上げている、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」についての記事がありました。コメントでも思ったのですが、ちょっと長くなりそうなので、自ブログにて。

リンク: どいつもこいつも!である―水産庁主催「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」: 民俗学の道しるべ.

 この百選には、菅さんが長く調査されている大川のコド漁が選定されているのですが、現在、先方のHPに掲載されている選定先紹介の文章にえらい誤記がある旨を指摘され、こうした選定そのものに疑念を呈されています。
 で、以前当方が書いた際、そんなものがあったっけ、と思いサイトを除いてみると見た目は変わらないのですが内容が大きく変わっていますね。前の記事でリンクを張った選定委員が消えていたり、選定経過が消えていたり。かわりにQ&Aコーナーが作られ、選定方針らきしものが載せられています。
 悪意を持って丁寧に言えば、以前は”あ~、こういう人たちがこういう経緯で選定したのね。たぶん、県レベルで推薦して、一つずつ選んで、あと53個選んだのね”というものから、現在では”ほ~、こういう基準で全国を見渡すと、こういうものこそが歴史文化遺産として選ばれるのか~、きっとすごいものなんだろな~”という感じに変わったと言うところでしょうか。この変更、かなり意図的に行われているように見受けられるのですが…
 こうした選定に対する問題点は、菅さんのブログに詳細に書かれていますし、専門を同じくする私も共感します。ただ、一方で、地方公務員の末端として文化行政の(ごくごく)一部に関わるものとしては、もう一つのジレンマも感じています。

 以下、ちょっとした愚痴と自戒混じりの駄文です。

 菅さんは、今回の歴史文化財産の話が、現在の政府が力を入れている”伝統””文化”といったものに対する政策、そして現在話題となっている教育基本法を巡る愛国心に関する一連の議論につながると見ています。たぶん正しいと思います。そして、そこで使われる”伝統”やら”文化”という言葉が、我々文化を研究する人間が考えているものと大きく乖離している点に危惧を抱いています。
 現在、文化行政の大きな流れとして”伝統的な文化”を”保存””活用”していこうという動きが大きな政策の方向になっています。この点が一時流行った文化といったときに現代文化だったり海外文化だったしたのと大きな違いだと思います。更にはその軸足が”活用”に大きく向いているのが特徴だと思います。文化行政の中心は文化庁が担っていたのですが、この役所は予算規模も他の省庁に比べれば大きくない部署ですし、これはそのまま地方自治体の文化財課や文化財係にもあてはまります。その文化庁が森内閣あたりから予算の増額が図られるようになったという話は、岩本通哉氏の論考などで指摘されています。こうした動きは最近更に加速し、菅さんが指摘しているように、○○百選という形で様々な伝統的なものがピックアップされています。そして、一番の問題はそうした動きにあまり文化の専門家が関わっていない点にあると思います。
 一方で、漁村や漁師さんを調査して歩いている経験の中では、こうした生業の現場を一番見ている行政の人間は、水産試験場(現在は改称・改組したところが多いのですが…)の人たちだと思います。今回の歴史文化財産(よく考えると文化財ではないのがナイス!)というのも結果とは別として、現場のレベルではある程度納得の施策であったように想像されます。つまり、漁業の現場で生産効率の名の下に失われているものがあり、それは”保存”というだけではだめで”活用”ということを通じて地元の人たちに留めたい、という思いがあるのではないでしょうか。
 では、こうした状況で我々のような人間、正統的?な文化行政の担い手である博物館の職員はどのような対応をすればよいのでしょうか。たぶん、これまでの対応は、”そういう文化の使い方は表面的すぎる!”という言い方だけだったような気がします。そして、往々にして原理主義的な提案にとどまり、”利用”という面で使いにくい存在になってしまっているように思います。またそういうイメージを持たれてしまっているようにも思えます。もっともそれ以上に重要なのは、博物館というのは昔のこと”のみ”を扱っているから関係ない、と思われている現状、つまり、私たちがどういう情報を持っているのかということを知ってもらうことだと思います。
 今、私たちがしなくてはいけないのは、自分たちが持つ情報の客観的な把握(もちろん逆も)と、それを各専門のセクションの人間とともに活用することで、こういう相乗効果を果たすことができますよ、という実例の提示ではないかと考えます。これには、私たちも博物館という非常に小さな世界の中にとどまらず、行政組織というシンクタンクを使いこなす企画と組織に対する知識が必要になりますし、また自分たちの軸足をどれだけ固められるかという面も重要になってきますが。
 自戒として、自分たちが持っている情報は、絶対(?)的なレベル、つまり学問的なレベルでの位置づけを意識して集めてきていますが、行政というか社会の中で相対的にどのような位置の情報を持っているのか、ということも併せて意識し提示していく必要があるということです。この後者の部分、博物館でもニーズという言葉は使われますが、それはあくまでも博物館に興味のある人のニーズであり、興味のない人や必要としない人のニーズには目を向けていない面もあります。ニーズの掘り起こしとは、現在の機能を理解してもらう行為であるということです。それだけではなく、もう少しうまくこれまで関わりのなかった人たちを使っていく、という面も考えていく必要があるのではないでしょうかね。
 まとまらない文章ですが、ここのところの文化財行政を取り巻く状況から、博物館という私の職場の状況の閉塞感を雑感まで。

2006 05 27 12:23 PM | 固定リンク

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